『文字コードの世界』でASCIIの誕生を「1963年」(p.12)と書いたところ、読者の方から
『電脳社会の日本語』では「一九六二年、日本のJISにあたるANSIはASCIIという情報交換用文字コードを制定した」(p.55)とある(追記4)が、どちらが正しいのか?というご質問をいただいた。 「ご自分でお調べになったらいかがですか?」と言いたいところをグッとこらえて、「文献[1,2,3]のいずれにも1963年6月17日制定とあるので、1963年が正しいと思います」とお答えした。 ところがインターネットを検索してみると、「1962年ANSI制定説」(追記2)の多いこと多いこと。 いくらなんでも、この状態はヒドイんじゃないかと考え、この文章を記す次第である。
アメリカの文字コード標準化委員会X3.2が、ASA (American Standards Association、のちにUSASIを経てANSIになった)配下で発足したのは、1960年10月4日である[4]。 X3.2委員会は、最初の頃は6ビットコードの開発を目指していた[5]ものの、1961年6月には7ビットコードへの開発移行をおこない、1961年11月10日に最初の文字コード案を発表した[4]。 この間1961年5月には、国際文字コード委員会ISO/TC97B (のちにISO/TC97/SC2を経てISO/IEC JTC1/SC2になった)の設置が決まり[6]、X3.2委員会はISO/TC97Bに対するアメリカ側の受け皿となった。 そして、1962年5月4日パリでのISO/TC97B第1回会議に、X3.2委員会は7ビットコード案を持ちこんだのである[4]。
これに対し、イギリスは6ビットコード案をISO/TC97B第1回会議に持ち込んだ[7]。 と書くと、6ビットか7ビットかをめぐって、イギリスとアメリカが国際会議の場で対立したかのようだが、事実は違う(追記1)。 1962年1月から3月にかけて、X3.2委員会のメンバはヨーロッパを回り、BSI (British Standards Institute)やECMA (European Computer Manufacturers Association)の文字コード関係のメンバと、非公式の会談をおこなっていた[8]。 アケスケに言えば、7ビットコードに反対しないよう、根回ししていたのだ。 この結果、第1回会議では、6ビットコードと7ビットコードの両方を、関連づけて開発することが決定された[4,9]。 続く10月の第2回会議では、6および7ビットの国際文字コード案を作成し[10]、親委員会であるISO/TC97の投票に付したのである。
1963年1月に判明したISO/TC97の投票結果は、賛成7、反対3、無回答2だった[10]。 これに合わせてX3.2委員会は、アメリカ国内での7ビットコード案(1962年5月25日版[4])であるpASCII (proposed ASCII)が、国際文字コード案の7ビット版の方[11]と矛盾しないことを確認し、1963年1月24日、親委員会であるX3での最終審議に付した。 X3では、ギリギリの賛成多数でpASCIIは可決されたものの、結果としてスポンサーなしという形でASAに送られた[4]。 そしてpASCIIは、1963年6月17日にpが取れて、晴れてASA X3.4-1963として制定されたのである[1,2,3]。
なお、1963年時点のASCIIは、現在のもの[12](追記3)とはいくつかの点で異なっている。 まず英小文字がない。 制御文字も、現在と共通なのはNUL、BEL、LF、FF、CR、SO、SI、DELくらいで、後は異なっている。 ASCIIがほぼ現在の姿となるのは、1967年7月7日制定のUSAS X3.4-1967においてであり[13]、その誕生後4年も過ぎてからのことなのである(追記6)。
参考文献
[1] | S. Gorn, R. W. Bemer, J. Green: "American Standard Code for Information Interchange", Communications of the ACM, Vol.6, No.8 (August 1963), pp.422-426. |
[2] | R. W. Bemer: "The American Standard Code for Information Interchange", Datamation, Vol.9, No.8 (August 1963), pp.32-36; No.9 (September 1963), pp.39-41,44. |
[3] | Fred W. Smith: "New American Standard Code for Information Interchange", Western Union Technical Review, Vol.18, No.2 (April 1964), pp.50-61. |
[4] | R. W. Bemer: "A View of the History of the ISO Character Code", The Honeywell Computer Journal, Vol.6, No.4 (1972), pp.274-286. |
[5] | R. W. Bemer, H. J. Smith, Jr., F. A. Williams, Jr.: "Design of an Improved Transmission/Data Processing Code", Communications of the ACM, Vol.4, No.5 (May 1961), pp.212-217,225. |
[6] | 和田弘: 計算機についての国際的な標準化, 情報処理, Vol.3, No.2 (1962年3月), pp.83-86. |
[7] | 和田弘, 相磯秀夫: コードの標準化, 情報処理, Vol.6, No.6 (1965年11月), pp.301-307. |
[8] | Lindon L. Griffin: "Uniform Machine Language to Speed Communications", The Magazine of Standards, Vol.34, No.8 (August 1963), pp.235-239. |
[9] | H. McG. Ross: "The I.S.O. Character Code", The Computer Journal, Vol.7, No.3 (October 1964), pp.197-202. |
[10] | 海宝顕: 電子計算機と情報処理におけるコード標準化の現況と課題, IBM Review, 第17号 (1967年7月), pp.167-176. |
[11] | S. Gorn, R. W. Bemer, E. Lohse, R. V. Smith: "Proposed Revised American Standard Code for Information Interchange", Communications of the ACM, Vol.8, No.4 (April 1965), pp.207-214. |
[12] | ANSI X3.4-1986 Coded Character Sets - 7-Bit American National Standard Code for Information Interchange (7-Bit ASCII), American National Standards Institute, New York (March 1986). |
[13] | Fred W. Smith: "Revised U.S.A. Standard Code for Information Interchange", Western Union Technical Review, Vol.21, No.4 (November 1967), pp.184-190. |
(追記1) | 『電脳社会の日本語』では、この件に関し
ISOの文字コードの審議は一九六二年からはじまったが、六ビット案と七ビット案の論争がまたしてもむしかえされた。日本とロシアはアメリカの七ビット案を支持したが、ヨーロッパ諸国は、アメリカほどコンピュータ資源に恵まれていなかったので、六ビット案に固執したからである。とする(p.59)が、これは私には全く理解できない。 そもそも、1962年5月4日のISO/TC97Bの出席メンバは、フランス、西ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカと、ECMAおよびUIC (Union Internationale des Chemins de Fer)であり[4]、日本やソビエト連邦は会議に参加していない。 |
(追記2) | USASI (United States of America Standards Institute)のANSI (American National Standards Institute)への改称は1969年10月6日であり[14]、その意味でも「1962年ANSI制定説」(追記5)はヘンである。 ちなみに、ASAのUSASIへの改組は1966年8月24日である[13]。 |
(追記3) | 2002年1月15日のINCITS (InterNational Committee for Information Technology Standards)発足とともに、規格番号もANSI X3.4-1986からANSI INCITS 4-1986に変更された。 |
(追記4) | 『電脳社会の日本語』も正誤表で「一九六二年」を「一九六三年」に訂正した。 |
(追記5) | 『情報・通信新語辞典』は、初版[15]で
ASCII(アスキー) American Standard Code for Information Interchange 1962年に米国規格協会(ANSI)が制定した情報交換用標準符号。 ASCIIは7ビット構成で27=128種類の制御文字,特殊文字,数字,英大・小文字を表現できる。 67年に国際規格としてISO 646で制定された7ビット情報交換用符号に準拠している。 日本のJISコードはASCIIとほぼ同じ。 パーソナル・コンピュータの多くがASCIIコードを採用している。と記して(p.147)以来、一貫して「1962年ANSI制定説」の立場を採り続けており、「1962年ANSI制定説」の流布に多大な影響を与えたのは間違いない。 この記述は、日経文庫『コンピュータ用語辞典』初版[16]の ASCII american standard code for information interchange 1962年に米国規格協会が制定した情報交換用標準符号。 7ビット構成で,数字,大小英字,記号など128種類の符号が表現できる。 1967年に国際規格としてISO646で制定されている7ビット情報交換用符号があるが(1973年改訂),ASCIIはそれに準拠している。 わが国でも,1976年になってJIS規格コードとして,7ビットと8ビット構成で制定されている。(p.17)を引き写して、「(ANSI)」を追加してしまったものだと推測される。 なお、「1976年になってJIS規格コードとして,7ビットと8ビット構成で制定」の部分はJIS C 6220(のちにJIS X 0201)を指すものと思われるが、JIS C 6220の制定は1969年6月1日である[17]。 |
(追記6) | 『文字コード「超」研究』は、初版第1刷[18]において
歴史上最初にASCIIが使われたのはコンピューターではなく、テレタイプ(teletype)と呼ばれる文字通信においてでした。 …(中略)… テレタイプはキーボードで押された文字を符号化して送信し、復号化して印字する仕組みです。 当然可能な限り少ないビット数で1文字を送りたくなります。 当時の劣悪で低速な通信回線を考えるとなおさらです。 最初に考え出されたコード系は1文字5ビットだったそうですが、紆余曲折の末、現在の7ビットのASCIIに落ち着きます。とする(pp.234-235)が、この記述は不正確である。 確かに『Teletype Model 11』から『Teletype Model 32』に至るテレタイプは、Donald Murray由来の5ビットコード(「テレックスの誕生とITA2」参照)を搭載していた[19,20]が、そのこととX3.2委員会における文字コード開発に、直接の関係はない。 また、1963年5月発表の『Teletype Model 33』に搭載されていたのは、1963年時点でのASCIIであり、英小文字も含まれておらず、現在のASCIIとは異なる[3,20,21]。 その意味では、テレタイプがほぼ「現在の7ビットのASCIIに落ち着」いたのは、1967年8月発表の『Teletype Model 37』ということになる[13,22]。 しかしながら、1964年4月発表のIBM SYSTEM/360 [23]は、英小文字入りASCII(正確にはISO/TC97の7ビットコード第3次案[9])を入出力用の文字コードの1つとして採用しており[24]、これは『Teletype Model 37』の3年も前である。 |
追記参考文献
[14] | "USASI Changed Its Name", The Magazine of Standards, Vol.40, No.6 (October 1969), p.162. |
[15] | 情報・通信新語辞典, 日経マグロウヒル社, 東京 (1985年1月). |
[16] | コンピュータ用語辞典, 日経文庫(319), 日本経済新聞社, 東京 (1983年1月). |
[17] | JIS C 6220-1969 情報交換用符号, 日本規格協会, 東京 (1969年6月). |
[18] | 深沢千尋: 文字コード「超」研究, ラトルズ, 東京 (2003年8月). |
[19] | "The Morkrum Printing Telegraph System", Telegraph and Telephone Age, No.875 (November 1, 1919), pp.528-533; No.876 (November 16, 1919), pp.557-564; No.877 (December 1, 1919), pp.586-589; No.878 (December 16, 1919), pp.620-622; No.879 (January 1, 1920), pp.9-12; No.880 (January 16, 1920), pp.32-35; No.881 (February 1, 1920), pp.69-72; No.882 (February 16, 1920), pp.100-105. |
[20] | "This Is a Teletype Printer?", Administrative Management, Vol.24, No.5 (May 1963), p.67. |
[21] | J. F. Auwaerter: "A New Standard Code for Teletypewriters", Bell Laboratories Record, Vol.41, No.10 (November 1963), pp.394-400. |
[22] | "Product of the Month", Datamation, Vol.13, No.8 (August 1967), p.97. |
[23] | "On April 7, 1964, the Entire Concept of Computers Changed", Business Week, No.1807 (April 18, 1964), pp.99-104. |
[24] | G. A. Blaauw and F. P. Brooks, Jr.: "The Structure of SYSTEM/360, Part I - Outline of the Logical Structure", IBM Systems Journal, Vol.3, No.2 (1964), pp.119-135. |