大学の授業で「1931年11月21日、AT&Tが始めたTWX (TeletypeWriter eXchange)が、テレックスサービスとしては世界初である」[1]と話したところ、学生の一人から
『科学技術史―電気・電子技術の発展―』には「1928年 ドイツでテレックス(電話回線を使用する印刷電信)運用を開始」とある(p.125)が、これは間違いか?と指摘された。 ドイツでのテレックス運用開始は1933年10月16日[2]だから、それ以前の実験か何かを勘違いしているのだろう。と思ったのだが、どうも気になるので、ここに私の知る限りの事項を記しておくことにする。
1921年、シカゴのMorkrum社(のちにMorkrum-Kleinschmidt社を経てTeletype社となった)は、送受信機が一体となったタイプライタ型電信機『Teletype Model 11』を発表した[3,4]。 これ以前のタイプライタ型電信機は、Donald Murrayの初期モデル[5,6,7,8]にしろ、Siemens-Halske社の高速電信機[9]にしろ、Western Electric社の多重電信機[10]にしろ、テープ鑽孔用タイプライタと鑽孔テープ送信機と受信印刷機(あるいは鑽孔テープ受信機と印刷機)がそれぞれ別々になっており、非常に幅広い設置面積を要していた。 『Teletype Model 11』の登場により、タイプライタなみの手軽さで電信が扱えるようになったのである(追記1)。 1927年、イギリス・クロイドンのCreed社も、送受信機が一体となったタイプライタ型電信機『Teleprinter No.3A』を発表した[11]。 イギリス郵便省は、『Teleprinter No.3A』を標準機の一つとして採用し、電信業務での使用を開始した[12]。 1928年、ベルリンのC. Lorenz社(のちのStandard Elektrik Lorenz社)は、『Springschreiber T28』を発表した。 『Springschreiber T28』は『Teletype Model 14』のコピーモデルであり、Morkrum-Kleinschmidt社からのライセンス生産であった[13]。 これに対しドイツ郵便省は、構内電話や専用線に限って『Springschreiber T28』の接続を認めたものの、一般の電話線への接続は認めなかった[14,15]。
この頃、タイプライタ型電信機の生みの親であるDonald Murrayは、のちに『テレックス』と呼ばれるアイデアに達していた[16]。 当時の電信機は専用回線で1対1に接続されており、基本的に送信相手は変えることができなかった。 これをプラグボードや交換機を介することにより、電話のように誰とでも電信ができるようにしよう、というのがMurrayのアイデアであった。 もちろんMurray自身も指摘しているように、これは特に新しいアイデアというわけでもなく[17]、新しい技術を必要とするわけでもなかった。 『Teletype Model 11』や『Teleprinter No.3A』の登場が、テレックスをより現実的なものにした、というだけのことである。 ただし、テレックスを実現するためには、送受信機の電気的仕様や伝送速度、そして使用する文字コードを統一する必要があった。
1931年5月、ベルンで開催された第3回CCIT (Comité Consultatif International des Communications Télégraphiques、のちにCCITTを経てITU-Tとなった)では、このことが議題となった[18]。 アメリカ・イギリス・ドイツでは、テレックスがすでに秒読み段階に入っており、いずれ開始されるであろう国際テレックスにおいて、どのような文字コードを使うべきかということが議論されたのである。 現実論から言えば、Western Electric社もTeletype社(1930年にWestern Electric社の子会社となっていた[4])もCreed社もC. Lorenz社も、Donald Murrayの初期モデルに使われていた文字コード[8]をそれぞれに改良して使っており、国際テレックスでの文字コードもそれに合わせるべきだろう、と考えられていた。 しかしCCITは、1929年6月に2種類の国際電信アルファベット(International Telegraph Alphabet No.1およびNo.2、略称ITA1およびITA2)を勧告しており[19,20,21]、国際テレックス向けに第3の国際電信アルファベットを勧告すべきか、ということが問題であった。 結論から言うとCCITは、1929年勧告のITA2を撤回し、その代わりにMurrayの文字コードを新しいITA2として採用することを決定した[18]。 ITA1はJean Maurice Emile Baudotの5キー式印刷電信機[22,23]の文字コードを改良したもので、フランスでの長い使用実績があったが、ITA2に関しては全く使用実績がなかったからである。
1931年7月7日、ドイツ・イギリス・オランダの専門委員がベルリンに集まり、Western Electric社の多重電信機と『Teletype Model 14』の文字コードを基に、新しいITA2を作成した[24,25]。 ところが、1931年11月21日にAT&TがTWXを開始した際[1]、採用した文字コードは、英数字についてはITA2互換だったが、記号類が変更されていた[26]。 1932年8月15日には、ロンドンでTelexが開始され、Creed社が準備したITA2準拠の『Teleprinter No.7A』が使用された[27,28]。 そして、1933年10月16日にベルリン〜ハンブルグ間でテレックスが開始された際にも、ITA2準拠の文字コードが使用された[2,29]。 この後ITA2は、第7回CCITで多少変更された[30]ものの、現在に至るまで世界中のテレックスで使われ続けているのである[31](追記2)。
参考文献
[1] | G. A. Locke: "Nation-Wide Teletypewriter Service", Bell Laboratories Record, Vol.10, No.5 (January 1932), pp.145-149. |
[2] | E. Roßberg: "Die Fernschreib-Vermittlungsanlage Berlin-Hamburg", Siemens-Zeitschrift, 14 Jg., H.2 (Februar 1934), pp.64-67. |
[3] | "The Teletype: A New Printing Telegraph", The Electrician, Vol.89, No.10 (September 8, 1922), pp.263-266. |
[4] | The Teletype Story, Teletype Corporation, Chicago (1958). |
[5] | William B. Vansize: "A New Page-Printing Telegraph", Transactions of the American Institute of Electrical Engineers, Vol.18, pp.7-29 (January 1901). |
[6] | "The Murray Type-Printing Telegraph", The Electrician, Vol.48, No.3 (November 1901), pp.86-90. |
[7] | Kraatz: " Der Murray-Telegraph", Archiv für Post und Telegraphie, 31 Jg., Nr.4 (Februar 1903), pp.97-122. |
[8] | Donald Murray: "Setting Type by Telegraph", Journal of the Institution of Electrical Engineers, Vol.34, No.172, pp.555-597 (February 23, 1905). |
[9] | A. Franke: "Der Neue Schnelltelegraph der Siemens & Halske A.-G.", Elektrotechnische Zeitschrift, 34 Jg., H.39 (25. September 1913), pp.1104-1108; H.40 (2. Oktober 1913), pp.1143-1145; H.41 (9. Oktober 1913), pp.1171-1173. |
[10] | Paul M. Rainey: "A New Printing Telegraph System", Electrical World, Vol.65, No.14 (April 3, 1915), pp.848-857. |
[11] | "Milestones", Creed News, No.50 (1962), pp.2-10. |
[12] | A. E. Stone: "Start-Stop Printing Telegraph Systems", The Post Office Electrical Engineers' Journal, Vol.21, Pt.1 (April 1928), pp.1-8; Pt.2 (July 1928), pp.101-108; Vol.22, Pt.1 (April 1929), pp.1-10. |
[13] | Feuerhahn: "Der Springschreiber T28 (Teletype, System Morkrum-Kleinschmidt)", Telegraphen- und Fernsprech-Technik, 17 Jg., H.9 (September 1928), pp.261-274. |
[14] | Karl Willy Wagner: "Fortschritte des Elektrischen Nachrichtenwesens im Jahre 1928", Elektrische Nachrichten-Technik, Bd.6, H.3 (März 1929), pp.113-120. |
[15] | "Fortschritte des Elektrischen Nachrichtenwesens aus dem Arbeitsgebiet des Reichspostzentralamts (TRA) für 1929", Telegraphen- und Fernsprech-Technik, 19 Jg., H.1 (Januar 1930), pp.1-7. |
[16] | Donald Murray: "Speeding Up the Telegraphs: A Forecast of the New Telegraphy", The Journal of the Institution of Electrical Engineers, Vol.63, No.339 (March 1925), pp.245-272. |
[17] | Thomas Fortune Purves: Telegraph Switching Systems, H. Alabaster, Gatehouse & Co., London (1902). |
[18] | M. Feuerhahn: "Die Dritte Zusammenkunft des Beratenden Zwischenstaatlichen Ausschusses für Telegraphie (CCIT)", Telegraphen- und Fernsprech-Technik, 20 Jg., Nr.7 (Juli 1931), pp.227-232. |
[19] | H. Stahl: "Die Zweite Tagung des Internationalen Beratenden Ausschusses für Telegraphie (CCIT) in Berlin", Elektrotechnische Zeitschrift, 50 Jg., H.38 (September 1929), pp.1364-1366. |
[20] | 大橋: 第二回國際電信通信諮問委員會議事々項, 電信電話學會雜誌, 第79號 (1929年10月), pp.1028-1040. |
[21] | A. C. Booth: "Telegraph International 5-Unit Code", The Post Office Electrical Engineers' Journal, Vol.23, Pt.4 (January 1931), pp.267-268. |
[22] | M. Th. du Moncel: "Systèmes Télégraphiques Impremeurs à Transmissions Mulitiples et à Combinaisons de Signaux Élémentaires", Journal Télégraphique, Vol.3, No.27 (Mars 1877), pp.521-526. |
[23] | Ch. Bontemps: "Le Télégraphie Baudot", L'Électricien, Tome 2, No.19 (Janvier 1882), pp.321-325; No.21 (Février 1882), pp.417-422; Tome 3, No.25 (Avril 1882), pp.1-5; No.26 (Mai 1882), pp.49-54; No.27 (Mai 1882), pp.97-102; No.30 (Juillet 1882), pp.241-246; No.31 (Juillet 1882), pp.289-295; No.33 (Août 1882), pp.401-406. |
[24] | L'Unification des Alphabets à Cinq Impulsions", Journal Télégraphique, Vol.55, No.8 (Août 1931), pp.246-252. |
[25] | M. Feuerhahn: " Die Vereinheitlichung der Zwischenstaatlichen Telegraphenalphabete", Telegraphen- und Fernsprech-Technik, 21 Jg., Nr.1 (Januar 1932), pp.8-10. |
[26] | E. F. Watson: "Fundamentals of Teletypewriters Used in the Bell System", The Bell System Technical Journal, Vol.17, No.4 (October 1938), pp.620-639. |
[27] | R. D. Salmon: The Teleprinter No.7a (Creed Teleprinter), The Institution of Post Office Electrical Engineers, Paper No.141 (April 1932). |
[28] | R. G. de Wardt: "Telex", The Post Office Electrical Engineers' Journal, Vol.25, Pt.3 (October 1932), pp.177-182. |
[29] | F. Riedel und K. Friedrich: " Die Automatische Namen- und Zeitmeldung in Fernschreib-Vermittlungseinrichtungen", Zeitschrift für Fernmeldetechnik, Werk- und Gerätebau, 15 Jg., Nr.10 (Oktober 1934), pp.145-151. |
[30] | 石川武二, 薩川一義: 第7回国際電信諮問委員会総会について, 電気通信学会雑誌, 第36巻, 第12号 (1953年12月), pp.647-649. |
[31] | ITU-T Recommendation S.1 (03/93) International Telegraph Alphabet No.2, International Telecommunication Union, Geneva (March 1993). |
(追記1) | Morkrum社は1913年には、送受信機が一体となったタイプライタ型電信機の試作品を制作していた[32]。 また、『Teletype Model 11』の発表以前、Morkrum社では『Teletype』という呼称を受信印刷機のみに用いており、送信用キーボードは単純にtransmitter keyboardと呼びならわしていた[33]。 |
(追記2) | 日本で国際テレックスが開始されたのは、1956年9月1日であり、もちろんITA2準拠の文字コードが使われた[34]。 ただし、1956年10月15日、東京〜大阪間で開始された日本国内でのテレックスには、日本独自の6ビットコードが使用されており、国際テレックスとの間は自動変換されていた[35,36](追記3)。 |
(追記3) | 日本国内のテレックスに用いられた日本独自の6ビットコード(追記4)は、ITA2との対応を取ると、数字や英字のコードがキーボード上で1文字分右にずれる、という不可思議なものである[35]。 これは、1927年6月1日に東京〜大阪間で運用開始されたMorkrum-Kleinschmidt社製の『和文印刷電信機』が、この6ビットコードの祖先を採用していた[37]からであり、この時点で『Teletype Model 12』に比べ、数字キーの位置が右に1つずれてしまっていたのである。 なお、この6ビットコードは、文字が多少削除されたものの、1961年11月1日にJIS C 0803(のちにJIS X 6001)として制定されている[38]。 |
(追記4) | 『図解雑学文字コード』[39]は、コード会のコード[40]のB案に関して
多数の熟練オペレータをかかえていた電電公社(現在のNTT)からの参加者が頻度順に固執したために、カナについては両論併記になったとする(p.54)が、B案はカナの頻度順で作られたものではない。 コード会のコードのB案は、日本国内のテレックスで用いられていた6ビットコード[35]との相互変換を、最大限考慮して設計されている。 すなわち、Q=ホ、W=フ、E=ク、R=コ、T=チ、Y=ヨ、U=ウ、I=ン、O=ナ、P=ヤ、A=ハ、S=タ、D=カ、F=シ、G=イ、H=マ、J=サ、K=リ、L=エ、Z=ニ、X=セ、C=テ、V=オ、B=キ、N=ツ、M=ノ、と対応させるやり方が、日本国内のテレックスで用いられていた6ビットコードそのままであり、電電公社テレックスのキー配列を踏襲するものである。 なお、コード会のコードのB案が考案された時点で、電電公社がテレックス向けに多数の熟練オペレータをかかえていたとは考えにくい。 なぜなら、国内テレックスの開始(1956年10月)からコード会の解散(1959年4月)までわずか2年半しかなく、しかも、テレックスのオペレータは電電公社でなく利用者側がかかえるものだからである[36,40]。 |
追記参考文献
[32] | Donald Murray: "The Morkrum Printing Telegraph", The Post Office Electrical Engineers' Journal, Vol.6, Pt.2 (July 1913), pp.175-182. |
[33] | J. O. Carr: "The Development of Printing Telegraphy", Journal of the Western Society of Engineers, Vol.26, No.3 (March 1921), pp.116-138. |
[34] | 斎藤文雄, 清水保: テレックス通信方式の設備概要と将来の計画, 国際通信の研究, No.13 (1956年12月), pp.11-12. |
[35] | 勝見正雄: 加入電信用印刷電信機のけん盤配置とその符号, 施設, Vol.8, No.7 (1956年7月), pp.109-115. |
[36] | 大谷薫, 河野誠一: 新しいお客様を迎えて―加入電信の保守およびサービスオーダー等について―, 施設, Vol.8, No.11 (1956年11月), pp.45-49. |
[37] | 島田新次郎: 和文印刷電信機, 電信電話學會雜誌, 第65號 (1928年1月), pp.123-161; 第67號 (1928年5月), pp.394-417; 第69號 (1928年9月), pp.681-686. |
[38] | JIS C 0803-1961 印刷電信機のケン盤配列および符号, 日本規格協会, 東京 (1961年11月). |
[39] | 加藤弘一: 図解雑学文字コード, ナツメ社, 東京 (2002年9月). |
[40] | 和田弘, 高橋茂: コード会のコードについて, 情報処理, Vol.1, No.2 (1960年9月), pp.107-109. |