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史部 傳記類 聖賢之屬
孔子編年五卷
宋胡仔撰 清胡培翬校注 嘉慶二十三年續溪胡氏刊本 金紫家祠藏版 1册
京大人文研 東方 史-IX-1-1
【東方文化】 1978
「續溪」を「績溪」に作る。データベースの「續溪」は誤り。
刊行年・出版者:
卷首「後序」:「先苕溪公諱仔、吾胡氏遷績溪之八世祖也。宋紹興初、奉先三山公之命、撰孔子編年五卷。其書在當時、已行於世。故陳振孫、王應麟諸家著述多稱之。三山公經略廣西、遭秦檜譖害。公時爲廣西僚職、歸寓湖州之苕上、杜門卻掃、日以編次爲業、自稱苕溪漁隱。嘗彙輯古今詩評爲叢話前後集一百卷、顧叢話世多刊本、而編年尠見流傳。國朝乾隆年閒、開四庫館、徴收天下遺書。是編由浙江范氏天一閣鈔呈、得著録史部傳記類。培翬幼時即思讀其書、辛未而後、遊歴南北過書肆、輒訪求焉不可得。今歳家祠續修譜牒、族裔日光留心先世掌故、訪得鈔本、不惜巨費購、寫以歸於祠。族衆皆欣然、喜先人數百年手澤、得見於今日、而思鏤板廣其傳、屬培翬校勘。於是取所采各書原本、敬謹核對、補脱字數十、正譌文數十。其中與今本文異而義可通者、則不敢擅改、恐當時所據之本與今本異也。……原編無注、今悉以所出書名、及後人考論聖蹟之説、足相證明者、略注於下。閲月而畢、敬付剞劂氏。時嘉慶二十三年戊寅十月朔、裔孫培翬謹識 日光繕録 紹煐覆對」
「苕溪公」は胡仔を、「三山公」はその父である胡舜陟(號は三山老人)を指す。
卷首「孔子編年目録後序」第三葉裏:「金紫家祠藏版旌德湯庭光鐫」
胡舜陟が金紫光祿大夫であったことから彼の子孫を金紫胡という。「金紫家祠」はその祠堂。
「績溪金紫胡氏所箸書目二卷 清胡培系撰 光緒十年績溪胡氏世澤樓刊本」を本所に藏する。本書はその卷一に著録される。
撰者・校注者:
卷首「孔子編年序」:「余令小子仔采摭其可信者、而爲編年凡五卷。……紹興八年三月壬子、績溪胡舜陟序。」
卷五最終葉裏最終行:「培翬校注」
藏書印:卷一第一葉表に「徐聖秋/讀書記」(白文長方印)とある。同じ印影が孫學雷等『中國國家圖書館古籍藏書印選編』(綫裝書局、2004年)第6册18頁に見える。
北京圖書館編『北京圖書館藏珍本年譜叢刊』(北京圖書館出版社、1999年)第1册に清同治九年刻本の景印を收める。
胡仔、字は元任、號は苕溪漁隱。績溪の人、舜陟の子。官は知晉陵縣。事跡は『嘉泰呉興志』卷十七「賢貴事實下・烏程縣」、『梅礀詩話』卷上、『直齋書録解題』卷二十二「集部・漁隱叢話六十卷、後集四十卷」に見える。また次の文獻が參考になる。
曹濟平「胡仔的生卒年及其他」、『文學遺産』1981年第1期
船津富彦「苕溪漁隱叢話覺書」、『東洋大學紀要(文學部篇)』27號(1973)、のち『唐宋文學論』(汲古書院、1986年)に再録。
『北京圖書館藏珍本年譜叢刊』第22册に胡培翬等編『胡少師年譜』を收める。「胡少師」は胡舜陟を指す。胡舜陟、胡仔父子については、この年譜にも詳しい。
『直齋書録解題』卷七「史部・孔子編年五卷」:「新安胡仔元任撰。其父待制舜陟命仔采摭經傳爲之。」
胡培翬(1782~1849)、字は載屏、號は竹邨、績溪の人。嘉慶二十四年の進士、官は戸部廣東司主事。進士及第以前や退官後は各地の書院等で敎育に從事。事跡は汪士鐸「戸部主事胡先生墓誌銘」(『汪梅村先生集』卷十一)、『清史稿』卷四百八十二「儒林傳三」に見える。
胡培翬『研六室文鈔』(光緒四年績溪胡氏世澤樓重刊本)卷首・胡培系「族兄竹邨先生事状」:「尤篤於宗族、嘉慶閒葺祠修譜、公皆力任其事。又以祠之西偏建世澤樓、博儲書籍、以惠學者。先世苕溪公所撰孔子編年、世尠流傳、公訪得鈔本、取所采各書、逐一校勘、正譌補脱、重爲刊布。」
卷頭畫像(封面、卷一第一葉表)公開。
本所基本カードは「嘉慶二十三年續(績)溪胡氏刊本」の「續(績)溪胡氏」を「胡培翬等」に作った後、今の形に改めている。またカードに「金紫家祠藏版」という情報は見えない。